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​個人セッション

「個人セッションの進め方」
1. 初めての方には進め方をご説明します。
2. 一緒に瞑想します。
3.質問を最初に一通り伺います。 

(セッション中に新たにご質問していただくことは自由です) 

4.クライアントの方のオーラやチャクラを観察しながらチャネリングをしています。時間にして10分程です。リラックスしてお待ち下さい。質問などをあらためて検討されるのも良いと思います。
5. Vywamus(スピリチュアルマスター)がクライアントの方に伝えようとしていることを中心にお伝えしていきます。
6. ほとんどの場合、90分以内で終了しますが、クライアントによっては長くなる場合もあります。そのとき、「90分経ちました」とは申し上げていませんのでご了承下さい。

 

個人セッション : 60分16,000円 / 90分22,000円 

電話/WEBセッション : 同上   WEB等でもオーラは分かります。

ご希望の方は、予約フォームあるいはメールでお問い合わせください。 

セッションで心がけていること。

<オーラについて>

フィールド全体が持つ繊細さはどうか。
いわゆる波動としてのレベルはどの程度にあるのか。
7つの層の区分けはしっかりしているのかどうか。
どこかに裂け目はないか。
あるいは憑依などの他の存在からのエネルギー的影響は。
各層のフィールド上に目立ったブロックはあるのか。
あるならば、そのブロックとチャクラ上でのブロックとの一致点はあるのか。
ないとするならば、そのブロックはどこからくるものなのか。
各層間でのエネルギー的なコミュニケーションは円滑に流れているのか。
各層間に対立・葛藤は起きていないのか。
その対立は何と何の対立なのか。
私に絡んでくるエネルギーはあるのかどうか。
あるとしたら他者をコントロールするのは、癖なのか、いま現在の恐怖なのか、これからはじまるセッションへの期待なのか。

 

<チャクラについて>

各チャクラ上のエネルギーの密度感はどうか。
エネルギーの繊細さや螺旋の渦の描き方はどうか。
末広がりか、上下・左右への傾きはどうか。
圧力・抑圧の力は加わっているのかどうか。
クライアントのブロックをチャクラ上に認識する。
そのブロックはどのような形状であり、どの程度強く人生を阻害しているものなのか。
そのブロックはいつからそこあるのだろう。
どのような状況で生じたものなのだろう。
当該チャクラ周辺の肉体器官への影響は出ているのか。
他のチャクラのブロックとの関連性はあるのだろうか。
オーラとの関連性は。

<チャネリング>

過去生の内容と私がそれまで認識したチャクラやオーラの特徴との関連性はどこにあるのだろう。
その過去生は、感情や思考にどのような刻印を残したのだろう。
そして、それが今、人生のなかでどのように展開しているのだろう。
幼少期の体験との関連はどのようなものなのだ。
それを今、どのように咀嚼しているのだろう。それとも未消化なのか。

<クライアントからの質問について>

なぜそれを聞きたいのだろう。
そのことは彼の大きな進化の絵と何か関係があるのだろうか。
進化の絵を創るためのピースは、この質問内容で揃っているのだろうか。
質問に腑に落ちないとしたら、欠けているピースはなんだろう。
本来、彼が問うべき本質的な質問は、どのようなものとなるだろう。
ただ論理や考え方を整理すれば解決出来ることはあるのかどうか。

<チャクラやオーラの状況とチェンリングメッセージをある程度伝えてから>

どのような反応なのだろう。
なぜピンときたのか。
ピンときているならば、その納得の仕方に誤解はないのか。
ピンときていないならば、どこに納得していないのか。
そして、納得していないことこそ重要かもしれない。
そこにこだわる必要があるのか、もう流していくべきか、また残り時間の展開に委ねるべきか。
あるいは私の不注意なのか。
伝えた後の、オーラ・チャクラの状況変化はどうか。
ブロックに変化が生まれているのか。
流れや光が射さないならば、加えて何を話せばいいのか。
何か理解に欠けることがあるのか。
言葉が足りないのか。私の愛が足りないのか。あるいは峻厳さが足りないのか。
恐怖はあるのだろうか。苛立ちはあるのだろうか。
納得して欲しいがための私からの不用意なコントロールはないか。
あるいはコントールのエネルギーは出ていないか。私はその影響から自由であるのか。

5秒、10秒、30秒、1分、2分、5分。
空白の無言の間が空くことに、怖れはない。
私にとって大切なことは、私の認識している真実を、掘り起こしたのかどうか。
掘り起こしたものは、きちんと純化されているのだろうか。
美はあるのかどうか。いま、ここに。
セッションのなかで私がいつも感じられる美がないならば、私の納得性はない。
納得性と美と癒しは、セッションにおいてもにおいてもすべて等式で結ばれている。
美は内容の純化から生まれる。
相手から起きるのではない。わたしから生まれるのでもない。
魂が準備するだけでは、足りない。

両者の探究からのみ生まれる。

<セッションの終盤に>

なぜ、彼は彼女は、今、ここで私の目の前にいるのだろう。
なぜセッションを受けているのだろう。
またくることは本当に不可欠なのか。
不可欠としたらそれはいつか。あるいは私から伝えるのか。相手に任せるのか。
私との過去生で何か関連があるのだろうか。
あるいはこれからの私と、関係を持ち続けるのだろうか。
私はこのセッションで何か救われたのだろうか。

逆に、私は何かを抱えたのだろうか。
あるいは、私は何かを抱えることを通してより自由になっていくのだろうか。
私はこのセッション中にどのような恐怖を抱いたのだろう。
それがまったく無かったと言えるのかどうか。

生まれた自由は、両親・先祖及び他の地球史・人類史のどの課題と適応しているのだろう。
いま、ハートチャクラはどのようになっているか。

人生の不可思議性と完璧性を、この時間を通して感じられたのかどうか。

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